top of page

【元船会社・技術担当が語る海上コンテナの世界 vol.1】なぜ「20ft/40ft」なのか?基本のドライコンテナを解剖する

  • 執筆者の写真: HP管理人
    HP管理人
  • 1月9日
  • 読了時間: 7分

1. はじめに

こんにちは。山口物流の小坂です。

実は私、以前は船会社の「コンテナ技術管理部門」という、少しマニアックな部署にいました。

何をしていたかというと、、、

コンテナの仕様を決めたり(設計)

傷んだコンテナの修理指示を出したり(メンテナンス)

冷凍コンテナが故障した際のテクニカルレポート(技術報告書)を書いたり

する仕事です。


世の中の人にとっては「ただの鉄の箱」かもしれませんが、私にとっては仕様や癖が異なる飽きない不思議な存在です。


今回はスペックの話をする前に、まず知っていただきたい「コンテナの起源」について。

どうやってコンテナが生まれたのか?

なぜ世界のコンテナは「20フィート」と「40フィート」なのか?

どのようにして世界中に広がったのか?

そこには、ある一人の男の執念と、教科書に載るようなビジネス戦略がありました。



2. コンテナのサイズ(世界の共通言語)

貿易の世界で「コンテナ」といえば、サイズは基本的にこの2つです。

  • 20フィート(約6メートル)

  • 40フィート(約12メートル)


世界中のどの港に行っても、どの船に乗せても、どのトレーラーで運んでもピッタリ合う。


これがコンテナの最大の特徴です。

では、なぜこのサイズになったのでしょうか?

どのようにしてコンテナが世界中に広まったのでしょうか? 本コラムでは船会社入社時に学んでこれまで何度もお客様に話し

「そうだったんだ!明日誰かに話してみよう」

と好評だったお話をダイジェスト版でお届けします。



3. 「コンテナの父」マルコム・マクリーンの正体

「コンテナを発明したのは誰か?」 そう聞かれたら、間違いなくこの男の名前が挙がります。

マルコム・マクリーン(Malcom McLean)。


彼は海運のエリートでも、学術的な研究者でもありません。

その正体は、「誰よりも時間を大切にする、叩き上げのトラック野郎」だったのです。


中古トラック1台からの成り上がり

1930年代の大恐慌時代。マクリーンはガソリンスタンドの店員として働きながら、貯めたお金で中古のトラックを1台購入しました。


自らハンドルを握り、荷物を運び続けました。

その商才は凄まじく、またたく間に車両を増やし、彼の会社「マクリーン・トラッキング」は全米でも5本の指に入る巨大運送会社へと成長しました。


(これは非常に勇気をもらえるエピソードですよね。

全ての人にチャンスがある。挑戦するかどうかは自分次第。

環境を言い訳にしそうですが、未来を作るのは自分だと教えてくれます)


しかし、会社の規模が大きくなるにつれ、彼はある「物流のボトルネック」に苛立ちを募らせるようになったそうです。


1937年の「ある風景」と、20年越しの執念

ある日、ニュージャージー州の港で、彼は自分のトラックから荷物が船に積み込まれるのを待っていました。

当時の船積みは「沖仲仕(おきなかし)」と呼ばれる力仕事。

作業員たちが手作業で、トラックの荷台から木箱や麻袋を一つずつ降ろし、網に入れ、クレーンで吊り上げ、船倉に詰め込む。

(想像しただけでしんどそう、、、)


「遅い。とにかく遅すぎる」

トラックが港に到着しても、荷降ろしが終わるまで何日も待たされることもザラ

「トラックは走ってこそ金を稼げる。港で止まっている時間は、ただの損失だ」

この時に思いついたのがコンテナ輸送の原点


「中身をいちいち詰め替えるから遅いんだ。トラックの荷台ごと、そのまま船に乗せてしまえばいいじゃないか」


しかし、当時の常識では「トラックと船は別物」。誰も相手にしてくれなかったそうです。


陸の王者が、海へ殴り込み

それから約20年後の1955年。

手塩にかけて育てた巨大トラック会社を売却し、その莫大な資金ですべてを賭けて船会社を買収しました。


最初はトラック(トレーラー)をそのまま船に乗せることを考えたそうです。

それではタイヤや運転席のスペースが無駄になる。


「タイヤはいらない。シャシー(車台)もいらない。『箱(ボディ)』だけ切り離して積めば、もっと大量に積めるはずだ」


これが、現在の「コンテナ輸送」が誕生した瞬間でした。


1956年、世界が変わった日

1956年4月26日。

改造されたタンカー「IDEAL X号」が、58個の「金属の箱」を積んでニュージャージー州のニューアーク港を出港。

当時の港湾関係者たちは、奇妙な箱を積んだその船を冷ややかな目で見ていました。


しかし、結果は 従来の手作業による荷役コストがトン当たり5.83ドルだったのに対し

コンテナ船はたったの0.16ドル

実に97%ものコスト削減と、圧倒的なスピードを実現したのです。

「トラック運転手の思いつき」が、数千年の歴史を持つ海運業界の常識を破壊しました。


4. 立ち塞がる「インフラの壁」と「規格の乱立」

この成功を見て、多くの船会社がコンテナ輸送に参入。

しかし、ここで世界規模の普及を阻む、2つの巨大な壁


① 「俺たちの箱」問題(規格の乱立)

各社が「自社にとって都合の良いサイズ」で勝手にコンテナを作り始めてしまったのです。

  • シーランド社(マクリーン): 35フィート(東海岸の道路事情)

  • マトソン社: 24フィート(西海岸の道路事情)

  • グレースライン社: 17フィート

長さも違えば、「固定する金具(コーナーフィッティング)」の形状までバラバラ。まさに群雄割拠の状態でした。


② 港側の「拒絶」

コンテナの効率を最大化するには、港に専用の巨大クレーン(ガントリークレーン)が必要です。

「数億円もするクレーンを買って、シーランド社の船しか扱えない? 冗談じゃない」


規格がバラバラでは、港側は特定の会社専用の設備投資を強いられます。

リスクが高すぎて、誰も投資できなかったのです。

このままでは、コンテナは一部の会社だけの「特殊な輸送手段」で終わってしまう。

業界は膠着(こうちゃく)状態に陥りました。


5. 決着:喧嘩両成敗の「数学的な解決策」

この膠着状態を打開するために、ISO(国際標準化機構)が動き出しました。

マクリーン派(35ft)か、ライバル派(24ft)か。どちらを採用しても角が立ちます。

そこで出された答えは、「モジュール化(組み合わせ)」という数学的な解決策でした。

魔法の数字「10の倍数」

特定の会社の都合ではなく、組み合わせ可能な「10フィート刻み」の規格が採用されました。

10フィート

20フィート

30フィート

40フィート

これなら、「20フィートを2つ並べれば、40フィート1つ分と同じスペースに積める」

という計算が成り立ちます。

その後、輸送効率と使い勝手のバランスから「10」と「30」は淘汰され

現在の20ftと40ftの2強時代へと落ち着きました。

そうなんです。黎明期は10とか30もあったんです。


6. 歴史を変えた「特許開放」という英断

サイズは決まりました。

しかし、最後に一つだけ大きな問題が残っていました。

コンテナを安全に積み重ねるための「四隅の金具(コーナーキャスティング)」の技術です。 この最も優れた特許を持っていたのは、マクリーンの会社でした。


ここで彼は、歴史的な決断を下します。(この時歴史が動いた)

自社が独占していたこの重要特許を、ISOを通じて全世界に「無償開放(ロイヤリティフリー)」したのです。


なぜ「独占」ではなく「開放」を選んだのか?

一見、ライバルに塩を送る行為ですが、これには明確な狙いがありました。

  1. 港を安心させる:「世界中がこの規格になる」と分かれば、港側は安心して高額なクレーンを導入できます。


  2. 市場の爆発的拡大:どの船会社の箱も、どの港でも扱えるようになれば、世界中の荷主がコンテナを使い始めます。

【経営学の視点】 これは「標準化戦略」の教科書的な成功事例です。 マクリーン氏は、目先の特許料を捨てて、「自分の作ったルールを世界の標準(デファクト・スタンダード)にする」道を選びました。 その結果、世界中にインフラが整備され、先行者であった彼の会社は、拡大した市場で莫大な利益を得ることになりました。

「技術は真似されても、作り上げたネットワークは誰にも奪えない」

トラック運転手から身を起こした男の経営手腕が、現代の物流ネットワークを完成させたと言っていいかもしれません。 つまりイノベーションは誰にでも起こせるチャンスがあるという事だと思います。


まとめ:次回は「中身」を解剖します

私たちが普段何気なく使っているコンテナは、単なる鉄の箱ではなく、こうした先人たちの「執念」と「戦略」の上に成り立っています。


さて、歴史の話はここまで。

次回はいよいよ、実務に直結する「スペック(中身)」と「種類」の話です。

元技術担当の視点で、コンテナの仕様を徹底解剖します。

お楽しみに!




bottom of page